福岡県糸島半島の北端にある北崎校区(福岡市西区)に2020年、絶景キャンプ施設「唐泊VILLAGE(からどまりヴィレッジ)」がオープンした。手掛けたのはベンチャー企業のVILLAGE INC.(本社:静岡県下田市)と西日本新聞社が合弁で設立した合同会社西日本VILLAGE。地域が西日本新聞社に抱く信頼感に加え、地域の眠った資産を地域活性化の一助にという熱い思いが、地域を守り続けてきた北崎校区や唐泊地区の人々の心を動かした。その経緯や地域の未来像について、北崎校区自治協議会会長の高橋吉文さんに話を聞いた。
福岡市西区北崎校区自治協議会 会長 高橋吉文さん
福岡県那珂川町(現那珂川市)生まれ。大学卒業後、1970年大手ゼネコンに入社し福岡を離れる。2012年に退社し、妻の実家がある北崎へ。自治協議会の仕事に関わるようになり、2014年に会長に就任。
唐泊VILLAGE
西日本新聞社はVILLAGE INC(静岡県下田市)と九州全域の遊休資産を活用した新たなローカルビジネスを創出するため合同会社西日本VILLAGE(福岡市中央区)を2020年5月に設立。第一弾として、福岡市西区の北崎自治協議会と唐泊町内会と連携協定を締結し、地域の自然資産を活用する「唐泊VILLAGE」を2020年10月にオープンした。約2haの耕作放棄地を活用し、キャンプ場として整備。地元住民や旅行者、企業などの賛同者が集う交流拠点として活用している。
「地域に恩返しを」の思いで自治活動に参加。知ることから始める
北崎校区の自治会長を務めるようになった経緯を。
北崎校区には、妻の実家があります。私は現在の福岡県那珂川市出身で、大学を卒業するまで那珂川に住んでいました。1970年に就職し、71年に結婚。就職してからは東京都や宮城県、北海道で勤務。2004年に念願の福岡勤務になったのですが、わずか2年で東京に呼び戻されました。妻は実家のある北崎に残り、私は単身で東京へ。58歳頃のことで、結局65歳で退任するまで東京にいました。
福岡に戻られたのが2012年ですね。
はい。その頃から校区の自治協議会の仕事に関わるようになり、2014年に町内会長に就きました。北崎校区は町内会長をすれば自治協議会の理事もしなければならないような取り決めになっています。それで自治協議会の仕事も町内会の仕事も両方ともするようになったわけです。
そもそも北崎地区になじみはあったのですか。
妻の実家があるとはいえ、私自身は北崎校区のことは深く知りませんでした。福岡に戻って「この地域についてもっと知るために組合活動をおやりなさい」とアドバイスを受けて、町内会組織の一つ、木原組合で会計を担当しました。会計は1軒ずつ家を回って町内会費の集金をしますから、町内の方々と知り合うきっかけになると勧めていただいて。それがこの地域を深く知るようになった発端ですね。家が何軒あるとか、田んぼがどうなっているとかを知りました。
地域の方のアドバイスがあったのですね。
動機はもう一つあります。私は婿養子なのですが、養母は義父を早くに亡くし、20年以上ここで一人暮らしを続けていたのです。それを隣近所の皆さんが気にかけ、いろいろ助けてくれていた。何も言わずしっかり見ていてくれた。だから自分はこの地区に恩返しをしないといけないな、と。その思いが自治会活動を始めるきっかです。
実際に北崎校区で生活をして感じたことは。
農業を営んでいらっしゃる方が多いのですが、皆さんの働き方を知ってびっくりしました。作物の出来具合によって、生活が変わるわけです。物言わぬものを相手にしながら、それこそ人間の知恵を最大限に働かせて、24時間365日、対応しなければいけない。サラリーマンの自分を大変だと思っていたけれど、全く違った(笑)。当たり前ですが、趣味の農園とは全く別物、農家の人は本当にすごい!そんな印象を持ちましたね。
地域とヴィレッジインク、西日本新聞社がタッグを組んで地域の自然資産を活用
「唐泊VILLAGE」のプロジェクトに協力したのは。
最初に話を聞いたのは、2019年の5月だったかな。西日本新聞社の方が来て、新規事業を北崎地区で行いたい。具体的には、うしろ浜とそこに隣接する約2haの耕作放棄地にグランピング施設を造りたいと。そもそもグランピング場というものが何かよく分からないわけですよ(笑)。「グランピングってなんね?」と聞いたら「キャンプ場です」って。西伊豆(静岡県)でキャンプ場を運営するヴィレッジインクの橋村和徳社長を連れてきて、彼らの知見を借りながら、地域にも恩恵がある新しい事業をしたいと。
突然「何を言い出すのか」という印象だった?
この辺りは、土地に思い入れがある人ばかりなので、売ってくれないと思うと正直に言いましたよ。道を広げたり開発したりすることもできないと伝えても「それでもいい」と。すごく熱心でしたね。
橋村社長は、うしろ浜の景色がきれいで福岡市内にこんなに素晴らしい場所があるのかと言っていました。それなら唐泊町内会長にも相談をしてみてはと紹介しました。その後、大変だったと思うけれど、土地の持ち主を自分たちで調べて交渉をして、少しずつ形にしていきましたよね。
地域の皆さんの反応はいかがでしたか。
もちろん全員が賛成するなどということはありえず、いろいろな意見がありました。せっかく静かでいい場所なのに、なぜわざわざ人が集まる施設を作るのかとか、特定のプライベートビーチなんて作ってほしくないとか。
でも大規模に開発をするのではなく、今ある自然の姿をそのまま生かすという話だったので、祖先が残してくれた土地を地域の活性化のために活用できるなら協力したいという人や、そもそも耕作放棄地になっている場所なので、土地の資産の価値が上がるのなら、という人も多かったですね。
どのようにして皆さんの理解を得ていったのでしょうか。
新聞社の方が「会社(西日本新聞社)のためだけにやっているわけではない」とよく言っていました。「社是に、地域づくりの先頭に立って地域を豊かにするための活動を行うという理念があるんです」と。そんな思いが伝わったのではないかな。なかなか理解を得られない地主の元には町内会長と一緒に行って計画の説明をしたり、町内で臨時の総会を開いたりして、地域の理解を得ていったと思います。最後は唐泊町内会の人なんかは「あの新聞社の方ならいいや、彼に任せる」ってそんな感じでしたよね。
さらに地域の魅力を打ち出し、ファンを増やすために新聞社に発信を望む
地域としてどのような協力をしたのですか。
ヴィレッジインクと西日本新聞社と、唐泊町内会と北崎校区自治協議会とで、事業立地の連携協定を結びたいという依頼がありました。それはグランピング場のためだけでなく、地域の発展や活性化のために貢献したいということだったので締結しました。
「唐泊VILLAGE」ができて変わったことは。
実は、北崎校区は福岡市内にありながら人口減少している地域です。そんな町に外から人が来ると活気が出ますよね。実は最初、グランピング場がビジネスとして成り立つのか、価格設定が高すぎるのではないかと心配だったんですよ。でも橋村社長が本当にいろいろなアイデアを持っていて、面白いなと思いました。立ち上げてからすぐ利益を出すのは難しいと思いますが、利用した人からは「また来たい」と評判がよくて。こういうサービスはリピーターをつくることが大事ですよね。
我々が今の生活を守りながら、のんびり静かに自然と共に老後を暮らしていくというのももちろんいいのですが、外からの新しい刺激を受けてダイナミックにチャレンジをしていくことも、時には大切なことではないかと思います。生きがいというか。ですから「唐泊VILLAGE」のスタッフも、地域にどんどん入ってきてほしい。一緒に知恵を絞っていきたいですね。
今後の展開や目標、西日本新聞社に期待することは。
もっと地域の特色を出していきたいです。北崎校区は海も山もあって、非常に魅力的なエリアなので、そういう点をしっかり「唐泊ヴィレッジ」でも生かせたらと思います。地元ツアーやヴィレッジ利用者が北崎校区の農業体験や漁業体験などができたらいいですよね。
地域の歴史を打ち出していく必要もあると思っています。2024年は元寇(げんこう)から750年に当たるので、北崎校区や今津校区などの西部八校区のことを知ってもらえるきっかけになればと考えています。
西日本新聞社とは連携協定を結んでいますから、新聞社のリソースを活用して、地域の情報をどんどん取り上げてほしいですね。地域の魅力をより多くの人に知ってもらい、ファンを増やしていきたい。この場所を気に入ってもらって、ゆくゆくは地域に若い人が住んでもらえたらうれしいです。